はじめましてこんにちは、ひょうどうです。
プロフィールページに来ていただきありがとうございます。
今回は簡単に自己紹介をしたいと思います。
→取材・実績一覧
コンテスト受賞経験
・第6回ソレノイドコンテスト 特別賞を受賞
・2019年異能-inno-vation(イノベーション) ジェネレーションアワード部門分野賞を受賞
・e-zuka スマートフォンアプリコンテスト 飯塚市長賞を受賞
・TechAcademy Contest 2020 Winter 優秀賞を受賞
目次
プロフィール
兵頭悠生 - ひょうどうゆうせい
1998年2月7日生まれ - A型
出身は愛媛県。大学進学を機に福岡県に移住。現在は東京でフリーランスエンジニアとして活動中。
趣味は、プログラミング、LEGO、ゲーム。
好きな歌手は、LiSA
”Catch the Moment”が一番好きです。
どういった人間か
子供の頃

4歳のとき
子供の頃はよく女の子と間違えられてたそうです。
子供の頃の記憶はそんなにありませんが、保育園で友達から「アメリカの人だ!」といじめられて泣いていたことは覚えています。(生粋の日本人です)
他には保育園にあったレゴブロックでずっと1人遊んでいたことで「レゴブロック賞」を園長先生からいただいたことぐらいですね。
父と祖父がデザイナーで家のすぐそばに工場があり、そこを遊び場として育ち、2歳からLEGOを始めとして、プラモデル、電子工作、建築など様々なモノづくりを経験してきました。
見た目はインドア派、実際はアウトドア派
外見でよくインドア派だと思われるのですが、小学校3年から高校3年までの10年間野球をしており、高校の体力テストで3年連続学年1位をとるなど、こうみえてスポーツマンです❗
僕の通っていた中学校では、駅伝シーズンになると長距離が得意な方が集められてチームを組むのですが、僕は3年連続一番上のAチームで市・県の大会に出場し区間賞や1区を任されたりなど体力にも自信がありました。
球技であればなんでもできるのですが、柔道や空手といった肉体系は苦手です...(;_;


イチローさんに憧れて野球を始め、プレイスタイルやポジション・打順、朝カレーなどほとんど真似をしていました。
もちろんイチローポーズもw
朝カレー
定期おトク便で購入することにしました。
これで在庫がなくなる心配がなくなりました☺ pic.twitter.com/7Ma7PqQ5kw— 兵頭悠生@ブログ処ひょうどう (@yusei_hyodo) December 7, 2019
今では朝ご飯はカレーでないと食べれなくなってしまいました...w(食べる気がしないだけです)
僕を強くしてくれた高校時代
せっかくなので高校時代お世話になった野球部の監督からのコメントを紹介します。(LEGO取材の際にいただいたコメントです)
高校時代の兵頭悠生君は体力テストで三ケ年1位をとるなど、身体能力は高く、選手としては細身ではあるが、俊足、強肩で主に外野手、1・2番打者としてチームの先陣をきる役目を担ってくれた。
左投げなので、時に投手として登板しチームのピンチを度々救ってくれた。
プレースタイルとしては決して真面目とは言い難い、どちらかというと奇抜で掴み所のない、何をするか、考えが読めないプレーをする印象が強かった。バントで揺さぶった後に長打を打つなどチームプレーに徹するより、自由奔放にプレーさせた方が実力を発揮し、見てて楽しい選手であった記憶がある。
今回、レゴの概念を覆した学生として注目を浴びてますが、野球でも従来の概念にとらわれない発想をしていた彼からは充分納得させられるものです。
未来へ向けてどんどんイメージを発展させレゴの楽しさを益々膨らまして、たくさんの人に夢と発想の楽しさを届けてほしいと思います。
すごく評価されていてこのコメントを頂いたとき、僕はうれしくて泣きそうになりました😢
なぜなら高校時代はあまりいい思い出がなく、思い出すのは辛い出来事がほとんどだからです。
前の章で僕は野球をしていて、スポーツでそれなりに結果を出してきたと楽しそうに書いているかもしれませんが、その裏側には死ぬほど辛い出来事がたくさんありました。
高校時代は毎日が野球三昧で、朝は朝練で6時起き、夜は21時まで練習で、ピッチャー陣は別途一日遠征で特別トレーニングを受けていて帰るのが日付が変わってからということがまれにありました。
休みはなく、僕ら野球部にとっての休みは半日練習とか、週に一回ある自主練習の日ぐらいです。正直自主練習の日は帰ってLEGOとかプラモデルを作りたいとずっと思ってましたが、皆練習していて僕だけ帰るメンタルが当時の僕にはありませんでした。
僕は、野球はもちろん好きでしたが、ものづくりの方が好きだったし、将来なりたい方向性(プログラミング系)も決まっていました。
本当は、高校は高専に行きたかったのですが学力が足りなく落ちてしまい、近くの進学校に通い中学まで続けていた野球をすることになりました。
練習が終わった後いつも、「高専に行っていたら単位は大変だろうけど毎日好きなジャンルの勉強をしたり、周りの人と刺激し合いながら共同で何か作ったり、バカみたいな目標でも本気でできるって仲間と語り合ったり」と二度と叶わないことだと分かってはいてもそれでも考え続けていました。
それだけ僕は何かを作ることが大好きで、特に自分の作ったもので誰かを喜ばせたり、楽しませたり、時にはつまらないとかバカにされたりとか、そういったことをすることがすごく楽しかったです。
しかし、現実を受け入れるしかなかったので、受け入れはしましたが認めませんでした。
大学は絶対にプログラミング系に行くと誓って、野球をしたことで大学に行った時に役立つことはないかずっと考えていました。
そこで考えついたのが、2歳のときから続けていたLEGOをスポーツに応用することです。
もし応用することができればきっとプログラミングを学ぶ際にも応用できると確信がありました。
そうして僕は応用するすべを見つけ、2年でレギュラーをとり、一つ上の先輩が引退した後にイチローと同じ1番ライトになりました。
しかしこれでハッピーエンドにはならなかった。
高校2年の冬、応用する術を見つけていた僕は慢心しきっていました。
単純に天狗になっていました。
野球選手にとって一番大事な冬の強化の時期、僕は野球のことではなく将来のこと(大学に入ってからこと)をずっと考えていて、野球に対して軽い気持ちになっていました。
その結果、一つの怪我が原因で調子が崩れ、最後の夏の大会でレギュラーから外されました。
今でも夢に出てくるのですが最後の試合、9回の攻撃で僕は代打の指名がありましたが、試合は僕に打順が回る前に終わり、ネクストバッターズサークルで試合終了を迎えたのです。
僕は試合にでることなく野球人生最後の試合を終えました。
正直悔しい感情を通り越してあまりにも哀れすぎて笑っていました。
”これが僕が10年間続けてきた野球人生の最後か”と!
高校時代のエピソードは、ここでは語りきれないぐらいほど辛いことが多いですw
だからこそ、僕が一番好きで得意なジャンルであるモノづくりまたはプログラミング系の大学に入学してからは、”慢心せず常に上を目指す!”と心に誓って毎日作業をしています。
月に2回は夢にでてくるので、絶対に忘れることはないと思いますw
以上のようなことにより今の僕はメンタルが強くなりました。
生い立ち
生まれの環境
前の章でも述べましたが、父と祖父がデザイナーかつ自営業をしています。
そのためものづくりできる環境すぐ近くにあり、そこを遊び場として育ちました。
いずれ追加予定...
申し訳ございません(T_T)
プログラミングとの出会い
幼少期からLEGOや電子工作といったものづくりをしていましたが、パソコンでなにか作るといったことは一切ありませんでした。
小さい頃からモノづくりを続けていた中で、一つだけ問題がありました。
それは材料(在庫)がないとすぐには作れないということです。
いいアイデアが思いついても材料がなければすぐに形にはできません。注文したり材料を自作したりなど、すごく時間がかかる問題がありました。
もちろん、足りないなら足りない中で設計し直すこともまた楽しみの一つではありましたが、それはそれで限界がありました。
そこで知ったのがプログラミングです。(知ったきっかけは、近くの高専のオープンキャンパスです)
プログラミングはパソコンさえあれば、何でもできる!
もちろん知識や技術力は必要ですが、現実に存在する物体で必要なものはパソコン一つ。
これほど魅力的なものはないと雷に打たれた感覚を味わいました。
高校受験のとき、近くの高専を志望してましたが残念ながらが落ち、地元の高校で野球をすることになりました...(;_;
大学こそはプログラミングが学びたかったため、高校の担任の先生に進められたのが九州工業大学情報工学部で、推薦で入学することになりました。
随時更新します。
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主にRails、Node.js、Vueの開発で活動をしております。
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それではまたどこかでお会いしましょう!